小野次郎 公式ブログ『ジローのおしゃべりサロン』

霞が関、総理官邸&永田町のすべてに精通する小野次郎のつぶやきとため息

ガソリン暫定税率と道路特定財源(1) 

〈僕の基本的考え〉
 この問題は二つの側面を持っている。ひとつは、「ガソリン代」か「道路予算」かという選択。もうひとつは、「道路オンリー」か「福祉・環境」かという選択。
世界規模の現象である現在の石油価格の高騰は、投機的な要因が大きいと言われるが、いつになったら終わるのか見通しは立たないし、今後さらに高騰する可能性もある。石油の価格高騰は、自動車の燃料だけでなく、暖房用燃料、石油を原料とする製品、さらに運送コストの上昇を通じてすべての価格上昇を招いている。
 ところで、国の税金には、このガソリン税以外にも、消費税、所得税、法人税など、さまざま存在するが、どれも基本的に経済活動と市民生活の活発さによって税収が増減する仕組みになっている。
 昨年後半からの急激な石油価格の高騰と、それに由来する物価の上昇は、企業・個人の経済活動や消費生活に、大きな制約・ブレーキになりつつある。四月からの新年度では、様々な税金からの国家収入にも良くない影響があるだろう。政府としてこんなときは、制約要因を緩和する方向に、政策を誘導すべきではないのだろうか?
 たまたま、3月末には、リッター50数円のガソリン税のうち、暫定分の25円が期限切れになる。多くの国民が、それで経営や生活が些かでも楽になるかと期待している。それなら、石油価格の高騰と、これに対する日本経済の克服策に目途が立つまでの間だけでも、また25円の一部だけでも、国民に返してあげたらどうだろうかと思う次第。

〈道路特定財源について〉
 これまでは本来のガソリン税も暫定分も、合わせて年約6兆円が、道路建設関係に回されてきた。しかし、国も地方も、財政は“火の車”状態。福祉や教育の分野、中小企業対策、また今では日本社会の最大課題である環境関係も、満足な予算を回して貰えなくて、皆、“青息吐息”ではないか。「何で道路だけ10年間で60兆円も予算が約束されちゃうの?」と言う疑問である。一方で確かに、道路建設も国家として大事だし、地元からの要望も強い。だったら、国(中央官庁・国会)でも地方(都道府県・市町村)でも、福祉、教育、中小企業対策、環境などと道路建設を、同じテーブルの上に乗せて、優先順位や力(お金)の入れ具合を決めるようにすれば良い。これが特定財源の“一般財源化”というアイデアである。小泉内閣で一般財源化の基本方針が決まった筈だったけど、現状では、他の分野で使うことが許されるのは道路特定財源総額の数パーセントに留まっている。
 世論も国会も、この問題でかなり熱くなっている。政治家としても個人としても僕は、四月からの国民生活に不安や混乱を与えてはならないということを最優先に考えていきたい。年度末までの限られた期間に、国民の多くの方に受け入れてもらえる解決を図るには、与野党間で冷静に協議して、何らかの妥協が必要になると思う。そして現状を率直に見る限りその方向は、一般財源化の本格導入と暫定分の幾分かの引き下げのミックスではないかと想像している。いずれにしても、与野党それぞれが動員をかけて集会を開き、ハチマキをして「ガンバルぞー!」と気勢を上げてみせても、それで決着の付く問題ではなかろう。

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都道府県間の“排出量取引”を提案!

 地球温暖化の原因とされる二酸化炭素など、温室効果ガスの排出削減が、今や全世界の緊急課題になっている。このため、先進工業国、大量消費国と発展途上国の国家間でも、排出枠の取引が行われるようになった。また、企業間でも排出量を売買する排出量市場が、ヨーロッパで開設されており、アメリカ、カナダそして我が国でも研究が始まる。「空気」に値が付いて売り物になるというのも、それくらい温暖化防止対策が、今や人類共通の課題となっており、売買や取引が市場原理を通じて排出量の削減を促すと考えられるからだ。

 僕はこのメカニズムを、国内の都道府県間でも導入することを提唱する。
 排出量取引の考え方は、“都会”と“田舎”間で財源を水平的に配分する新機軸に、活用できると思う。たいていの税収は、地域における経済活動の規模に比例するが、財政需要の方も、経済活動の規模や人口、更には人口密度に比例する傾向がある。だから地方サイドが、求めている“都会”が生み出す税収を、“田舎”へ厚めに配分させるシステムを実現するには、都会に住む人々にも納得してもらえる理屈を見つける必要がある。そして現在社会ですべての市民が共有する価値基準は、「環境への負荷」という概念であり、”田舎”が”都会“に対して自慢出来るのも、この点ではないかと思う。日本という国自体も、国際社会の中で6パーセントの削減目標を負わされている。国家目標の達成について、国内で“足を引っ張る”県が、“達成をリードする”県に「排出量に応じて支払う」、つまり財源を移転させるという仕組みならば、双方から理解が得られやすいのではないか?この仕組みによって“都会”は財源の他県への移転を少なくするため、また“田舎”は自主財源を増やすために、いずれも排出量を、一層減らす努力をすることになる。

 環境省が、現在検討中の温暖化対策推進法の改正案では、事業者に排出基準の遵守義務を定め、都道府県と大規模市に計画策定を義務付け、市民に取り組み指針を提示することが盛り込まれている。これらでも、確かに“一歩前進”だろうが、都道府県間で役所も企業も個人も、こぞって排出量削減を競うメカニズムの導入こそ、国民生活や経済活動全般に、大きなインパクトを与えることが出来るだろう。
 まだ細部の研究が必要だが、僕としてはこの仕組みを、地方交付税の算定や税源委譲された地方税の配分に、大胆に取り入れるよう政府に働きかけていきたい。

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小泉さんってどんな人?

秘書官の頃ならともかく、議員になった今でも地元の集会などで、しばしば訊かれる質問である。特に女性の方からが多く、小泉純一郎の個人的人気は衰えていない。小泉さんを一番近くで見てきた人間と信じられているのは、名誉なことではある。でもこの僕だって今や代議士なのだから、もっと僕の事を尋ねてほしいと僻みたくなる程。この質問には、時代劇に登場する三人の有名キャラクターを使うと説明しやすい。

 「いつもは眠り狂四郎」。目を半眼にしていることが多く、人の話に同意しているのか聞き流しているのか、傍で見ていても掴みきれない。大きく目をむく表情は、ほとんどしない。いつ誰からどんな報告を受けても、ネタ元を明かすことなく、自分が前から知っていたかのように情報を活用する。それにより、情報提供者が守られるだけでなく、誰から聞いたか決して洩らされる心配のない政治家の耳には、自然に日本中の情報が集まってくる。でもこれは他人に頼らないで、情報判断や取捨選択を行える自信があるから出来ること。僕も何度かこの「眠り狂四郎」のおかげで、霞ヶ関や永田町で抹殺されずに済んだ経験がある。

 「お願いしても木枯らし紋次郎」。政治家が、難しい案件の説明に来ると総理が黙って聞いてくれるので、相手は了承したと勝手に思い込む。最後に「では、お願いできますか。」と念を押すと大概、「良いことだから、ご自分でやればいいよ。」と、そっけない返事が返ってくる。総理の部屋から出て、秘書官に八つ当たりして帰る政治家がたくさんいた。総理を辞めた後、小泉チルドレンと呼ばれる同僚議員が相談に伺っても、最後に「良いことだから、ご自分でやればいいよ。」と答えるのが普通である。「あっしには、関わり合いのないこと。」という印象を持たれて、「小泉は、冷酷な男。」の評判につながる。でも本当に問題があると考えるときには、優しく「止めておいた方が良いよ。」と言う筈だから、そう言われないだけマシだと思うしかない。

 「たまに旗本退屈男」。テレビの中では毎週名場面を作ってくれるが、小泉さんの場合は年に一度あるかどうかのことである。ハンセン病訴訟控訴断念や拉致被害者を救い出すため、北朝鮮に向かったとき、そして郵政解散・総選挙などである。「鬼神もこれを避くる」というような険しい形相に変わる。小泉ファンとしては、度々発揮してもらいたいが、どの案件に対して反応するかは、周囲でも予測が付かない。本人も気力・体力に相当の消耗があるみたいで、一度演じたら、暫らくはお休みしなければならない。総理を辞めて間もなく1年半になるので“そろそろもう一度”と密かに期待するが、果たしてどうなることやら?

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「ねじれ国会」にも良いところあり!

「党議拘束」って分かるだろうか?党所属議員は、採決のときに、執行部が決めた通りに投票しなければならないことだ。衆参両院で与党が過半数を占めている場合、これだと与党執行部が決めた法律案は、その時点で成立する法律の内容までが決まってしまう。
 政治権力は、与党執行部と原案を作る霞ヶ関の中央省庁に集まる。与党議員は“賛成多数”の数に数えられるだけの存在であり、野党議員は国会の中や外で、反対を叫ぶだけに終わってしまう。その点、衆議院と参議院で多数派が異なる「ねじれ国会」では、自ずと党派を超えて、国会議員の大多数が賛成できる内容の法律だけが成立する。党議拘束以前の問題になっているからだ。

 「民主主義とは、多数決だ。」と、考える人もいるだろう。でも、51対49に世の中の支持が分かれた法案について、与党が党議拘束をかけて、衆議院でも参議院でも繰り返し押し通すのが良い政治とは思えない。「ねじれ国会」は、これから3年あるいはそれ以上の期間続く。  
 我々は、「ねじれ国会」と向き合う法を身に付けるべきだと思う。今開会中の臨時国会で、成立する法律の数は、確かに少ない。でも中には、前々から立法化を求める声があり、与党の中にも理解者が居ながら、霞ヶ関や党内で声の大きな政治家の反対によって成立しなかったものが含まれている。政治資金の支出に広く領収書を求める政治資金規正法改正、地震などで自宅が全壊した場合に再建費用の一部を支援する法改正、そして年明けにも成立が見込まれる薬害肝炎一律救済のための法律である。

 「ねじれ国会」にも良いところあり!と思う。そういう国会では、与党でも野党でも、法律を自ら立案したり、野(与)党側と協議・調整をまとめられる国会議員が必要になっている。
 世論の「声」も意味合いが変わっている。これまで「国民の声」といっても実現に結びつくのは、与党を支援する大きな団体や業界の意見要望であった。今では、与党が話に乗らなければ野党にお願いに行く手がある。かくして「ねじれ国会」の下では、すべての国民に「声」を上げる機会が広がっている。各政党、また国会議員一人一人について、相手よりも早く国民の声を聴き取って、それを法律や予算の獲得に結びつける能力が験されているように思う。

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