小野次郎 公式ブログ『ジローのおしゃべりサロン』

霞が関、総理官邸&永田町のすべてに精通する小野次郎のつぶやきとため息

「安倍晋三記念小学校」の問題

籠池氏はごく短期間と説明しているが、実際は二年くらいの長期にわたって「 安倍晋三記念小学校 」の名称で寄付金を集めていた可能性があるとされる。
籠池氏が安倍夫妻にとって全く見も知らぬ関係であれば、総理の名前を僭称した詐欺の疑いさえ出てくる。
他方、実際にはその間も総理夫妻と籠池氏側との交流が続き、夫人が講演に度々赴いたり最後は名誉校長を引き受けるなど総理夫妻は一貫して小学校開校を応援していると見られても不思議でない関係にあった。
だからこそ「安倍晋三記念小学校」の名称も、相当長い間にわたって関係者の間で疑問に思われなかったと見られる。
これが国のトップにある政治家の関与を示すひとつの証拠と見られるならば、政治的にはその方が却って重大かも知れない。

秘書は本人のために働く

昨日、総理夫人付き秘書役の谷査恵子さんのファクスが話題に上った。
秘書の立場の人間が、依頼者への返答の末尾に、「本件は、◯◯(本人)にも既に報告させて頂いております」と付け加えている意味は大きい。
1秘書が本人に知らせずに個人的に対応している案件でないこと
2依頼者への伝達内容について報告を受けた本人が「諒」としていること
の2点が見て取れる。
依頼者への返答に上記の文言を付する事は、本人と秘書役との任務分担と一体性の両方を示す為に日常的に用いられる。
この文言が付されているにも関わらず、秘書役が個人的依頼に対して親切心の範囲程度に回答したものであるかのように政府は説明している。
私自身が、秘書の立場も秘書の手助けを受ける議員の立場も両方経験している。
秘書役の任務と秘書に手助けを受ける者の責任と、いずれから見てもあまりに牽強付会で理不尽なこじ付け的解説に憤りを感じて筆を取った。

証人喚問での証言の信ぴょう性

一般論だが、罰則付き証人喚問で述べた証言は、他の場面の発言より格段と信憑性が高い。
渦中の人物を召喚し、罰則の制裁下で重い口を開かせて真実を究明するのが本来の国会証人喚問。今回の喚問は、不都合な事実を公言して憚らない人物を国会に呼びつけて罰則の制裁を翳して口封じするもので、趣旨が本末転倒と言わざるを得ない。
今回の証人喚問で証人に偽証の制裁を翳してこれまでの発言を撤回させるか、或いは同じ内容を証言した場合でも後になって偽証罪容疑に追い込むという与党の目論見は、案の定、上手くいかなかった。
籠池氏がこれまでの発言を証人として証言したため、かえって事態はお互いにますます引っ込みがつかなくなってきた。
罰則制裁下という状況下で証言した内容に反駁・対抗する為には、同じように罰則制裁下で行われた否定又は相反する他の証言がどうしても必要である。
明日、国会の委員会に関与が噂される関係局長らを参考人として呼んで説明を聞くことが決まった。その場に籠池氏がいない上に罰則の制裁も伴わない参考人だから、何とでも言い訳が出来るかも知れない。その反面、説明の信ぴょう性については、本来の証言に適うものとはなり得ない。
究極の危機管理とは、被害の極小化(ダメージコントロール)の知恵である。一刻も早い収束をめざす政府・官邸側としても、事実関係を認め関係者からきちんと釈明する「落としどころ」を見定めることが重要である。最初は、畑の隅のゴミが燻っている程度と思っていても、延焼を食い止める見通しがなければ、いつの間にか母屋まで火の手が近づくことにもなりかねない。
これ以上国民の不信が高まるようだと政局にも影響する可能性がある。
深読みして、与党側の内部にこの証人喚問が政局に発展する可能性まで承知の上で段取りしていたとすれば、政治って本当に恐ろしい。

国有地払下げに関する売却交渉資料

森友学園への国有地払下げにまつわる疑惑 。国有地払下げも土地売却の一形態だから、払下げ後も普通の売買同様、錯誤による契約無効や詐欺を理由に取消し、義務不履行による損害賠償、買戻しなどの法的措置が起こり得る。
現に国は、小学校の開校が認可されない事を理由に、この土地の買戻しを検討中である。
売却協議の交渉(値引額算定や認可見通しを含む)記録は、事後に問題発生の際に法的措置を取る担保として保管していなければ国側の正当な権利を行使できないことになりかねない。
資料を売却後速やかに廃棄したという財務省の説明はあまりに不自然である。
また、会計年度で言えば、今月一杯は2016年度。 会計検査は前年度以前について検査が入る場合が多いので、今の時点で直近の2015年度や2014年度の国有財産売却に関する様々な資料を残していない事はあり得ない。現に会計検査院が目下、財務局に会計検査に入っている筈である。
財務省が廃棄したと言う資料がどの範囲のものか分からない。少なくとも、身内である省内の会計監査 や会計検査院の検査に耐えるだけの資料をすべて国会に提出すべきである。

現金による寄付の取り扱い

   実際上、寄付を会場などで熨斗袋に入った現金で渡される事がある。この場合も組織として収支報告など事後の処理の必要があり、受け取った人の立場としてはどこかに記録に残す事を考える。
   領収書綴りがその場にあれば相手には領収書を発行して、控えの方に寄付者名と金額を記録として残す事が出来る。ただ、領収書綴りを来訪者の目に付くところに置けば、予め寄付を期待していたみたいであまり見っとも良くない。
   寄付された現金が氏名・金額入りの熨斗袋に入っていた場合であれば、熨斗袋を記録として残しておく事もある。
   銀行や郵便局で寄付金の口座に振り込めば他の寄付と同じ通帳に記録出来る。だが、金融機関の窓口で、寄付を現金で受け取った側が寄付してくれた人の名前で振り込むのは難しい。窓口では、振込みをする人と本人(寄付者)との関係を示す事が出来ないと受け付けてくれない場合が考えられる。
   その為、ATM端末を使って入金する事で寄付者の名前を通帳に残す。金額が大きい場合には幾つかに分けて振り込む。
   しかし、以上記した事務処理はこれまで自分が見聞した処理の仕方である。個性の強い森友学園の経理処理にもそのまま当てはまるかどうかは分からない。訂正が加えられた問題の振替票が、何を物語るか即断は困難である。

役所が判断を改めるとき・・

20年以上前、初めて課長になったのは新設の課だった。課長引き継ぎという形式的なものは無く、前の課の中で新設課に配置換えになる課員が銘々手持ち案件を持ち寄る形で新業務が始まった。
直ぐに、過去に一部マスコミから提起された問題への対応に疑問が残ることに気がついた。
新タイプのモデルガンが、発売当初から、"オモチャ"の域を超えて殺傷能力を持つ"銃砲類"に当たるという指摘だった。
警察の研究所での鑑定の結果、「殺傷能力無し」という判断となり、"オモチャ"を所管する経産省側もこれを受け入れた。国会でもそんな答弁がなされていた。
ところが、後になって、改造して破壊力を強化した非純正の威力強化弾がアメ横で売られているという報告が上がって来た。この非純正の改造弾丸を研究所で試してみたら、標的射撃が可能であることが分かった。
私は最初から秘密を作りたくなかったので、直ちに記者会見を開いて"オモチャ"としての認定を訂正して所持に許可が必要な"銃砲"という認識を世間に明らかにしようと考えた。
だが、マニアに人気の新モデルは既に何百丁も売られており、当然ながら経産省側も冷たい反応だった。これまでの甘い判断を改める会見は、マスコミから叩かれるだろうし、野党側から国会で突っ込まれる心配もあった。
蒸し返しを煙たがる関係方面をようやく説き伏せ、最後は局長に会見実施の決裁を求めた。日頃優しく丁寧な上司も、「一件処理済みの問題を蒸し返すな」とえらく機嫌が悪く決裁を頂けなかった。
若い私は、悔しさのあまり「上司の指示には従いますが、その旨は決裁書類に付記して将来に残します。」と捨てゼリフを残して局長室を出た。タバコを一服して自席に戻った私に局長から電話がかかって来た。「人の安全に関わることだから、君の考え通り会見を開いて結構です。ただし、マスコミからこれまでの対応について詰められても前任者たちを安易に批判しないでやって下さい。」という言葉だった。
会見はこれまでの判断の甘さを事実上訂正する内容となったが、問題を特集で取り上げたTV局やアカハタも含めて全社こちらの真摯な姿勢を好意的に扱ってくれた。あの局長はその後も尊敬できる大先輩としてお付き合いさせて貰っている。また、当該モデルガン(改め改造銃)の回収は一向に進まなかったが、非純正の威力強化弾も以後出回らなくなっている。
一旦、組織で固めた処理方針を改めさせることは、誰か変わり者がよほど意を決した行動に出ないと難しい。
それでも、今日に至るまでこの改造銃による重大殺傷事故のニュースが出ないことは私にとって細やかな満足となっている。                                                     (3月15日)

まるで機能していない刑事司法?!

僕は大学は法学部出身。専門科目の中でも刑事法関係は良い成績だった。
卒業後警察に入り、いろいろな部局で働いた。銃器対策課や暴力団対策課など凶悪な犯罪者らと直接対決するいわゆる"強面"部門でも働いた。また、鹿児島県で警察のトップである県警本部長を務めた。
一般の方々には経験できないほど多くの犯罪(容疑)者を見つめてきた自分だが、就職以来約40年間ず~っと一つの疑問を抱えてきた。警察から離れて十数年経つが、今ではその疑問は確信へと近づいている。
刑事法、つまり大学で教える「刑法」、「刑事訴訟法」そして犯罪者の更生や矯正に関する「刑事政策」などが前提とする「社会」と「人」が、いずれも現実の犯罪や犯罪者の実態にそぐわない"絵空事"なのではないかと言う問題である。
刑法をはじめ刑事法体系は、犯罪者に自分の犯した反社会的行為について自覚と反省を迫ることが基本になっている。国家は犯罪者の自覚と反省に対して、矯正と更生の機会や便宜を提供する。「眼には眼を」のハムラビ法典の時代とは目的が異なることを繰り返し強調する。
しかし、メソポタミア文明は論外としても、現代の日本社会は、"レ・ミゼラブル"の時代のように、貧しきが故に自分や家族の食べるパンを盗むような、(悪いことは悪いとしても)同情できる事情で犯罪を犯す犯罪者などは見かけない。
第二次大戦後、生存権などの認識が高まり福祉施策が充実した社会では、真っ当に生きていく考えの方なら生活、教育、医療など各般にわたって様々な公的な支援が提供される。"貧しい(併せて心が弱い)が故に、道徳的罪悪感を感じながらも犯罪に手を染める"という刑事法の前提実態が存在しなくなっているように思う。
社会に蠢く大半の犯罪者たちは、大学で学ぶ法律の想定とはジャンルの異なる人々である。薬物中毒を含めて先天的または後天的に精神に何らかの病いを持つ人か、暴力団などの組織犯罪関係者や職業的常習犯罪者のいずれかだと断言して良いだろう。
こういう人々には、自覚や反省を求めても無理がある。矯正や更生の措置が効果を上げることも期待できない。再犯も減らないばかりか、同じ手合いの"常連の客"が繰り返し警察、裁判所、刑務所の間を行き来するだけの事である。従来の刑法理論が辛うじて適用できそうなのは、家庭内の犯罪や会社犯罪、一部の業務上の故意・過失による犯罪くらいに止まるのではないか?
心を病んでいて刑事責任を問えないケースも話題になるが、そんな状態のまま重大犯罪を犯す時点まで野放しにしてきた社会や行政の側の怠慢こそ見逃すことは出来ない。
昔、学生時代には再犯防止の治療処分などの保安処分は国家権力による人権侵害として強く嫌悪したものである。しかし、却って一般人となった今では、古典的な意味の刑罰権の行使よりも反社会的で危険な存在を社会から隔離すると共に再犯防止のための予防的措置こそが求められていると思う。
被害者補償や被害者・証人保護など刑事関連分野でも新たな課題が広がっている。一方で、犯罪者に対する措置の方は、いつ迄も(司法の一部としての)刑罰権の行使を金科玉条のように考えるのは如何かと思う。医療や教育(の一部)を含めた社会政策の一分野と位置付けるべきではないかと考える。
薬物中毒などを徹底的に治療する医療施設と自立プログラムの国による無料提供が何より必要である。組織犯罪者については、反社会的組織から"足を洗わせる(離脱させる)"方策こそが唯一最大の犯罪者対策である。
現代における「罪を憎んで人を憎まず」の意味は、こういう事ではないかと思う。異論反論も多いと思うが、あえて問題提起させて頂く。