小野次郎 公式ブログ『ジローのおしゃべりサロン』

霞が関、総理官邸&永田町のすべてに精通する小野次郎のつぶやきとため息

幼すぎる組織犯罪対策の国会議論

警察で長年、国際的な捜査協力に実際に取り組みこれからの協力の在り方について知恵をしぼってきた。
TOC(国際組織犯罪防止条約)の構想には最初から関与し条文の草案段階では起草にも加わった。
この十数年、国会での議論を見つめてきたが、構想の最も肝の部分が見向きもされていない。そして重箱の隅を突く様な書生っぽい議論を延々と続けており、残念で仕方がない。
野党やマスコミの突っ込みも的を射ていないが、そもそもは政府や法務当局の説明が国民に理解してもらう視点に欠けている。
遅すぎたかもしれないが、捜査実務と法規制と国際協力のいずれにも当事者として関与してきた人間として、組織犯罪対策の国際協力で何が今問題なのか、簡潔に整理してみたい。
 
1現代では犯罪者の大半は何らかの意味で組織犯罪関係者であり、今や犯罪対策は組織犯罪対策である。
数の上では、薬物中毒など依存症の犯罪者や精神に何らかの異常を抱えて犯罪を犯す人も多い。しかし、これらの人々は単純に犯罪対策(刑事政策)の対象というよりも、むしろ医療や福祉など社会政策の視点から十分な予防施策を講じるべき対象である。
刑法・刑訴法など刑事法体系(刑法理論)は、依然として「貧しきが故にパンを盗む」「愛憎によって人を殺める」ような化石のような古典的犯罪者を念頭に組み立てられている。結果、刑事裁判制度、警察検察矯正の組織・人的資源の配置が、私の眼からは、犯罪予防や再犯防止などの犯罪対策に殆ど寄与していない。
 
⒉組織犯罪対策が犯罪対策のメインとなるにつれて、その内容は大きく変わり、今や「合法組織(当局)」対「違法組織(組織犯罪)」のあくなき戦いの様相である。
具体的にはまず、組織犯罪の資金源が取締りの主たる対象に変わった。これを叩かなければ、現象事件をいくら取り締っても組織犯罪を弱体化できない。マネロン対策がメジャーな柱となったのはこの為である。
アセット・フォーフェチャー(犯罪収益の没収)やアセット・シェアリング(没収犯罪収益を関係捜査機関が分配する処分)など、わが国では未だなじみが薄い手法まで前世紀末までに国際的に一般化した。
他方で、電話傍受、潜入捜査(UCO)、おとり捜査、証人保護プログラム(WPP)、コントロールドデリバリー(CD)などは、昔はスパイ組織の取締りに当たる公安情報機関の専売特許だった。それが次第にテロ組織の取締りにも導入されるようになり、今ではこうした捜査手法を犯罪捜査機関でも必要とする時代になった。わが国では、法整備も手法の熟練も前世紀末からあまり進展がないままである。この辺りは、議論を深めるために刑事法学者、国会議員、弁護士の方々にも、比較的最近(1990年代以降)のアメリカ映画を見て頂きたい。
新たな捜査手法の多くは、実は、情報収集手段である。一回きりの現象犯罪を取り締まるのではなくて「組織」自体を叩くためには、日ごろから組織内部の解明が何より重要になってくる。収入源となる犯罪の手口や犯行計画が分からなければ、合理的な取締りの方針も立てられない。
国会では、立法の目的がテロ対策なのかそれ以外の犯罪も対象にするのか的な議論が続いている。この答えは、組織を作り、資金源を有し、繰り返し犯罪を起こす実体であれば、テロ組織からドロボー集団まで様々な形態の組織犯罪が例外なく含まれると言うだけのことであろう。
そしてあくなき違法組織との戦いの過程では、組織犯罪(犯罪結社)への参加自体を「違法」とみなすことが常識となっている。
 
⒊前世紀末に始まる犯罪対策の変容は、1989年の東西冷戦の終結と結びつく。冷戦終結後は、旧共産圏の諸国も自由主義体制の諸国も等しく、組織犯罪が最大で共通の「敵」になった。
条約の元になったリヨンサミットの「組織犯罪対策に関する40の勧告」をG8の当局者で検討した際の事である。休憩タイムにロシアのメンバーが「Believe us,we are from ex-KGB」と囁く言葉に背筋が凍る思いをしたことがある。出張者からそんな率直な言葉が口を突くぐらいロシアで腐敗していないと信頼できるのは、旧KGB(現連邦保安庁)くらいになってしまった。アジア太平洋地域のマネロン対策組織(APG)には中国のほか、台湾や香港も加盟している。全世界に広がる華僑社会の中で組織犯罪の資金の流れを食い止めるためには、台湾や香港の銀行も等しく加わらなければ対策の効果が上がらないことを、政治的には「一つの中国」にこだわる北京の中国政府すら認めざるを得ない。
TOC条約では高級官僚の汚職とマネー・ロンダリングをそれぞれ組織犯罪の柱に取り上げている。意外な感じを持たれる向きもあるだろうが、条約起草の時点で既にそれらが洋の東西を問わず典型的な組織犯罪と認識されていたのである。
 
⒋冷戦構造の終結は、必然的にヒト、モノ、カネ、データの全世界的な移動を容易にし、結果として組織犯罪は一気にグローバル化した。
各国の組織犯罪対策もこれに対応してグローバル化せざるを得なくなった。具体的には、ヒト、モノ、カネ、データに関する各国の法規制と法執行(取締り)体制の両方において、平準化される必然にあった。法規制と法執行のいずれかで世界標準より格段に緩やかな国や地域は、犯罪対策上のループホール(穴)と見られて、ダーティなヒト、モノ、カネ、データの抜け穴になってしまう。
秘密厳守が売りだったスイスの銀行でさえ、犯罪絡みであれば預金者情報を回答するようになった。インド洋の小国は「外国からの国内投資自由化法」がマネロン助長の世界的な疑いを招いたため、結局、数年後に改廃せざるを得なかった。
⒌マネロン対策は、かつてわが国では薬物不正取引の取締りに関連して紹介され、導入されたが、先にも触れたとおり、今ではすべての罪種にかかわらず組織犯罪対策の柱となっている。
「疑わしい取引の届け出」を金融業界に義務付ける際には、銀行業界は「血痕が付いているとか薬物の臭いがある」ようなケースでなければ、「お札に色(善悪の別)は付いてない」と協力に極めて消極的であった。それが今では、金融機関ばかりか弁護士を含め他人のお金を扱う殆どの職種が報告義務の対象になっている。このため報告相手先も、金融庁から国家公安委員会(警察)に変更せざるを得なかった。
TOC条約の世界では、地球上の各国は、政治体制の違いにかかわらず、「合法社会」と「違法社会(組織犯罪)」との対立から成り立っている。この戦いに無関心や「ノンポリ」の態度は許されない。合法の側に立つと自認する人は、疑わしい取引に対しては自ら届け出ることで自分の立ち位置を明らかにするという考え方に立っている。
「パナマ文書」が大騒ぎされた際にも、わが国では脱税疑惑として論じられてマネロンの問題として取り上げる報道は殆どなかった。脱税も組織犯罪となりうるが、潜在的にはマネロンで動く資金の方がはるかに巨大である。
 
⒍世界各国の犯罪対策の平準化と並んで、国際協力のハードルをともに下げることも進んだ。重大犯罪の犯罪人引渡しから広く捜査協力へ、さらには恒常的な国際法執行協力へと協力の範囲が拡大・深化した。相互主義、自国民不引渡し、双罰性などの条件も、この条約を含む二国間及び多数国間の条約や各国国内法によって緩和または廃止される場合が増えている。
「引き渡すかさもなくば裁け」の原則は、このTOC条約の枠組みの中で貫かれている。国際組織犯罪を相手にしていかなる国のどんな場合にも組織犯罪を利する法の抜け道を残してはいけない。これがこの条約の核心である。
世界中の187か国が加盟するこの条約の作り上げる国際組織犯罪防止のネットワークに、わが国は国内法整備の遅れから加われない状態が続いている。国際組織犯罪対策において我が国が世界のループホール(穴)になりかねない深刻な事態である。
 
⒎各国の犯罪対策は組織犯罪対策が中心となるとともに、経済活動のグローバル化に対応して組織犯罪もグローバル化した。これに伴い各国犯罪対策の平準化と国際協力の普遍化の方向はもはや動かしがたい。犯罪対策の分野においても、一国主義から世界主義へと時代が変わった。
いま国会で審議されている組織犯罪処罰法の内容は、この平準化と普遍化の要請に過不足なく応えるものであるかどうかが問題とされなければならない。187にも上る条約加盟国の法規制のレベルより突出しているなら、不要な部分は削り取らなければならない。平準化のレベルに達していないなら不十分な内容ということになる。与野党とも、議論がこうした視点から行われていないことは極めて残念である。
この条約の枠組みにおいては、この可罰性の平準化はほんの入り口(玄関)の問題に過ぎない。本題は、マネロン、公務員の汚職、そして前に触れた新たな捜査手法(情報収集手段)を積極活用した国際協力の普遍化である。さらに、この条約には、不法移民、女性や子供の人身売買、銃器不正流通の防止に関する3つの議定書(子条約)が付属している。銃器の議定書は、起草段階から私を含めて日本代表団がリーダーシップを発揮した成果である。
 
⒏子供のころ見たヤクザ映画では、追われる立場の人物が香港やマカオ行き貨物船で姿を消すラストシーンだった。平成に入ると、国内の歓楽街に中国蛇頭が暗躍する映画も流行った。しかし今や、ベトナム、台湾、中国、ロシアから、中南米のコカイン・カルテル、中東のテロ組織さらにはナイジェリア詐欺グループまで、世界中のどこの組織犯罪が我が国に侵入していても不思議ではない。組織犯罪対策でわが国が世界平準に達しないこと(ループホール)がヤミ世界に知れわたるにつれて、世界中からダーティなヒト、モノ、カネ、データがわが国を目指すようになる。逃亡者の潜伏場所に使われたかつての香港やマカオと似たイメージだ。インド洋やカリブ海に浮かぶ小国ならいざ知らず、世界有数の経済規模の我が国が組織犯罪に取締りの緩やかな場所を提供する身勝手は、国際的に許されない。
 
(まとめ)
今回の法案とは別に、今後相当期間にわたって組織犯罪対策の平準化と国際協力の普遍化に対応した法規制と組織改革の両面の整備を進めなければならない。今回仮に、与党が強行採決で法律を成立させたとしてもその後遺症は後まで残って、次の改革はまた遅れ遅れになるだろう。政府には、何としても「合法」社会の一致した合意によって、組織犯罪防止の世界的枠組みに参加するよう努めてもらいたい。
一致した合意を形成するための方策には、二つの方向性が考えられる。
一つは、現行刑罰法規を改正することなく条約に加盟しても条約上の義務を履行できることを、政府・与野党間で確認する事である。他国の組織犯罪関係者について他国に対する我が国の協力義務を履行できないおそれが残ると外務当局などが言うのであれば、便法がない訳ではない。「条約に基づく協力要請については、双罰性を要件にせずに、引き渡し、退去強制し、並びに強制処分を含めて捜査協力を実施する」趣旨の条文を置くことで国際的な不安を除去できる。
二つ目には、捜査の対象になる側の人権保障を飛躍的に高めることである。内容的には、
(1) 捜査の可視化の徹底、
(2) 捜査当局の内部監察に当たる第三者機関創設、
(3) 当局の横暴・不当な関与や介入に即時差し止めを掛ける司法手続きの整備、
(4) 国賠訴訟などに先立って被った不利益と損害を即時に回復する十分な予算を有する人権支援機関の創設
などが考えられる。具体的内容の検討に時間を要するのであれば、与野党一致の上、改正法の付則に明確な期限を付してプログラム規定を置くことにより国民に対する約束とすることが出来る。
世界が、合法社会と違法社会の二つに分かれて戦う時代に、その枠組みへの参加を決める国会の審議の時点で世論は早くも真二つという姿は、国際社会に対してもあまりにも見っともない。
国民合意を形成するための政府の一層真摯な努力と、与・野党とも大局を踏まえた大人の対応を切に祈る。   (完)
 

総理の暴走

内閣総理大臣は、政治家である以前に全公務員の頂点にある立場。現憲法擁護義務 を負う最上位の公務員が憲法擁護の式典には参加せず新憲法制定 の集会に応援メッセージを送るとは如何なることか?!
これまで、総理としては憲法改正の具体的議論は両院憲法審査会の審議に委ねると繰り返したのはその場しのぎだったのだろうか?
国民議論も盛り上がらないのに、第9条改正の内容に触れたり改正憲法の施行時期まで言及したのは、どう考えても踏み込み過ぎ。
憲法改正は否定しないが、憲法のしもべである内閣には中立であって欲しい。

検挙しなかった自慢話

私が警察出身だと知る人は、決まって「凶悪犯人の逮捕とか難事件を解決したとか...小野さんの警察時代で一つくらい自慢したい話はないの?」と尋ねてくる。大きな事件は大人数態勢で取り組むものだから、個人の手柄なんて滅多にあるものじゃない。黙っているのも悔しいが、捜査の難しさを語るのも興ざめだ。
だから、「犯人検挙の自慢話はないけど、犯人を検挙しなかった有名な事件はあるよ」と切り返してやる。この珍回答に「エ、エッ、どういう意味?!」とまわりの人まで振り返る。
1990年か91年に篠山紀信さんが樋口可南子さんをモデルにヘアヌード写真集を出版した事があった。警視庁の風紀取締部門ではこの事件を検挙すべきか否か何度か議論になった。当時、フランス大使館勤務から戻って間がない私は主管部門の総務課長だった。ムーラン・ルージュやリドのヌードショーが懐かしかったし、夏の地中海でヌーディスト海岸を覗き見た経験も思い出した。ヨーロッパではヌーディストとは呼ばずにナチュリスト(自然派)と呼んでいる。
「生まれたままの姿を見せただけで検挙されるなんて可笑しいですよ。」と、会議で話題になるたびに食い下がった。
「警察は都民から自然に拍手が沸くような事件を検挙した方が良い」と、検挙にハヤる現場部門を諭した。心の中では、昭和から平成へと変わり社会も警察も変わらなければ、と感じていた。
部内の会議メンバーにも「綺麗ですね」と評する方が出て、事件検挙の熱は何となく挫かれた。いつの間にか、単なるヌードは謙虚に値しないというムードになっていた。
何も特に手を下したわけではないが、結果的に日本の「ヘアヌード解禁」に貢献することになった。
それから何年かして鹿児島県警本部長を務めたとき、奄美地方の墓石の形に興味を持った。一部は本土南端の指宿あたりにも見られる。墓のまわりに親族相和して法事の代わりに大宴会を開くというのは面白い。
代表的な墓石は、墓石が左右に拡がって並び真ん中に室のような部分がある。島の古老は「あれは女性性器を模している」と説明してくれた。墓石の形は、「生命誕生の元」であり、「死んで母胎に還る」という意味に受け取った。
さらに、全国の海岸地域には、昔から漁に出る前には女陰に向かって航海の無事を祈る習慣があると言う。
だから、『日本では男根にはおおらかだが女陰には厳しい』という風説にも何かウラがありそうである。「農耕や航海、さらに平和」に結びつく女陰に対して、男根は「武士道と戦さ」のシンボルだったのではないか?武士道や戦さを賛美する近代日本の風潮に煽られて先の男尊女卑とも受け取られる風説が拡散したのではないか。そうだとすれば、決して日本古来の美意識や道徳観ではないと私は思っている。

「安倍晋三記念小学校」の問題

籠池氏はごく短期間と説明しているが、実際は二年くらいの長期にわたって「 安倍晋三記念小学校 」の名称で寄付金を集めていた可能性があるとされる。
籠池氏が安倍夫妻にとって全く見も知らぬ関係であれば、総理の名前を僭称した詐欺の疑いさえ出てくる。
他方、実際にはその間も総理夫妻と籠池氏側との交流が続き、夫人が講演に度々赴いたり最後は名誉校長を引き受けるなど総理夫妻は一貫して小学校開校を応援していると見られても不思議でない関係にあった。
だからこそ「安倍晋三記念小学校」の名称も、相当長い間にわたって関係者の間で疑問に思われなかったと見られる。
これが国のトップにある政治家の関与を示すひとつの証拠と見られるならば、政治的にはその方が却って重大かも知れない。

秘書は本人のために働く

昨日、総理夫人付き秘書役の谷査恵子さんのファクスが話題に上った。
秘書の立場の人間が、依頼者への返答の末尾に、「本件は、◯◯(本人)にも既に報告させて頂いております」と付け加えている意味は大きい。
1秘書が本人に知らせずに個人的に対応している案件でないこと
2依頼者への伝達内容について報告を受けた本人が「諒」としていること
の2点が見て取れる。
依頼者への返答に上記の文言を付する事は、本人と秘書役との任務分担と一体性の両方を示す為に日常的に用いられる。
この文言が付されているにも関わらず、秘書役が個人的依頼に対して親切心の範囲程度に回答したものであるかのように政府は説明している。
私自身が、秘書の立場も秘書の手助けを受ける議員の立場も両方経験している。
秘書役の任務と秘書に手助けを受ける者の責任と、いずれから見てもあまりに牽強付会で理不尽なこじ付け的解説に憤りを感じて筆を取った。