小野次郎 公式ブログ『ジローのおしゃべりサロン』

霞が関、総理官邸&永田町のすべてに精通する小野次郎のつぶやきとため息

役所が判断を改めるとき・・

20年以上前、初めて課長になったのは新設の課だった。課長引き継ぎという形式的なものは無く、前の課の中で新設課に配置換えになる課員が銘々手持ち案件を持ち寄る形で新業務が始まった。
直ぐに、過去に一部マスコミから提起された問題への対応に疑問が残ることに気がついた。
新タイプのモデルガンが、発売当初から、"オモチャ"の域を超えて殺傷能力を持つ"銃砲類"に当たるという指摘だった。
警察の研究所での鑑定の結果、「殺傷能力無し」という判断となり、"オモチャ"を所管する経産省側もこれを受け入れた。国会でもそんな答弁がなされていた。
ところが、後になって、改造して破壊力を強化した非純正の威力強化弾がアメ横で売られているという報告が上がって来た。この非純正の改造弾丸を研究所で試してみたら、標的射撃が可能であることが分かった。
私は最初から秘密を作りたくなかったので、直ちに記者会見を開いて"オモチャ"としての認定を訂正して所持に許可が必要な"銃砲"という認識を世間に明らかにしようと考えた。
だが、マニアに人気の新モデルは既に何百丁も売られており、当然ながら経産省側も冷たい反応だった。これまでの甘い判断を改める会見は、マスコミから叩かれるだろうし、野党側から国会で突っ込まれる心配もあった。
蒸し返しを煙たがる関係方面をようやく説き伏せ、最後は局長に会見実施の決裁を求めた。日頃優しく丁寧な上司も、「一件処理済みの問題を蒸し返すな」とえらく機嫌が悪く決裁を頂けなかった。
若い私は、悔しさのあまり「上司の指示には従いますが、その旨は決裁書類に付記して将来に残します。」と捨てゼリフを残して局長室を出た。タバコを一服して自席に戻った私に局長から電話がかかって来た。「人の安全に関わることだから、君の考え通り会見を開いて結構です。ただし、マスコミからこれまでの対応について詰められても前任者たちを安易に批判しないでやって下さい。」という言葉だった。
会見はこれまでの判断の甘さを事実上訂正する内容となったが、問題を特集で取り上げたTV局やアカハタも含めて全社こちらの真摯な姿勢を好意的に扱ってくれた。あの局長はその後も尊敬できる大先輩としてお付き合いさせて貰っている。また、当該モデルガン(改め改造銃)の回収は一向に進まなかったが、非純正の威力強化弾も以後出回らなくなっている。
一旦、組織で固めた処理方針を改めさせることは、誰か変わり者がよほど意を決した行動に出ないと難しい。
それでも、今日に至るまでこの改造銃による重大殺傷事故のニュースが出ないことは私にとって細やかな満足となっている。                                                     (3月15日)

まるで機能していない刑事司法?!

僕は大学は法学部出身。専門科目の中でも刑事法関係は良い成績だった。
卒業後警察に入り、いろいろな部局で働いた。銃器対策課や暴力団対策課など凶悪な犯罪者らと直接対決するいわゆる"強面"部門でも働いた。また、鹿児島県で警察のトップである県警本部長を務めた。
一般の方々には経験できないほど多くの犯罪(容疑)者を見つめてきた自分だが、就職以来約40年間ず~っと一つの疑問を抱えてきた。警察から離れて十数年経つが、今ではその疑問は確信へと近づいている。
刑事法、つまり大学で教える「刑法」、「刑事訴訟法」そして犯罪者の更生や矯正に関する「刑事政策」などが前提とする「社会」と「人」が、いずれも現実の犯罪や犯罪者の実態にそぐわない"絵空事"なのではないかと言う問題である。
刑法をはじめ刑事法体系は、犯罪者に自分の犯した反社会的行為について自覚と反省を迫ることが基本になっている。国家は犯罪者の自覚と反省に対して、矯正と更生の機会や便宜を提供する。「眼には眼を」のハムラビ法典の時代とは目的が異なることを繰り返し強調する。
しかし、メソポタミア文明は論外としても、現代の日本社会は、"レ・ミゼラブル"の時代のように、貧しきが故に自分や家族の食べるパンを盗むような、(悪いことは悪いとしても)同情できる事情で犯罪を犯す犯罪者などは見かけない。
第二次大戦後、生存権などの認識が高まり福祉施策が充実した社会では、真っ当に生きていく考えの方なら生活、教育、医療など各般にわたって様々な公的な支援が提供される。"貧しい(併せて心が弱い)が故に、道徳的罪悪感を感じながらも犯罪に手を染める"という刑事法の前提実態が存在しなくなっているように思う。
社会に蠢く大半の犯罪者たちは、大学で学ぶ法律の想定とはジャンルの異なる人々である。薬物中毒を含めて先天的または後天的に精神に何らかの病いを持つ人か、暴力団などの組織犯罪関係者や職業的常習犯罪者のいずれかだと断言して良いだろう。
こういう人々には、自覚や反省を求めても無理がある。矯正や更生の措置が効果を上げることも期待できない。再犯も減らないばかりか、同じ手合いの"常連の客"が繰り返し警察、裁判所、刑務所の間を行き来するだけの事である。従来の刑法理論が辛うじて適用できそうなのは、家庭内の犯罪や会社犯罪、一部の業務上の故意・過失による犯罪くらいに止まるのではないか?
心を病んでいて刑事責任を問えないケースも話題になるが、そんな状態のまま重大犯罪を犯す時点まで野放しにしてきた社会や行政の側の怠慢こそ見逃すことは出来ない。
昔、学生時代には再犯防止の治療処分などの保安処分は国家権力による人権侵害として強く嫌悪したものである。しかし、却って一般人となった今では、古典的な意味の刑罰権の行使よりも反社会的で危険な存在を社会から隔離すると共に再犯防止のための予防的措置こそが求められていると思う。
被害者補償や被害者・証人保護など刑事関連分野でも新たな課題が広がっている。一方で、犯罪者に対する措置の方は、いつ迄も(司法の一部としての)刑罰権の行使を金科玉条のように考えるのは如何かと思う。医療や教育(の一部)を含めた社会政策の一分野と位置付けるべきではないかと考える。
薬物中毒などを徹底的に治療する医療施設と自立プログラムの国による無料提供が何より必要である。組織犯罪者については、反社会的組織から"足を洗わせる(離脱させる)"方策こそが唯一最大の犯罪者対策である。
現代における「罪を憎んで人を憎まず」の意味は、こういう事ではないかと思う。異論反論も多いと思うが、あえて問題提起させて頂く。

安倍晋三「記念」小学校って・・!?

でも、何の記念なんだろ?
こんな珍しい名前にしなければ世間の眼を惹かなかったのに・・
オーナーは余程ハラが据わっているのか、単に思慮が足りないのか??
経緯を改めて調査する必要もないと言い切る財務相はどうかと思う。
ゴミ一杯の敷地をそのままに棒引き価格で払下げておきながら一旦売却済みの物件だから既に国は一切の責任を負わないという言い訳は説得力ゼロだ。新年度から小学校を開校するためと十分承知していたからこそ異例のスピード処分をしたのじゃないか・・
学園側でゴミを撤去するからという筋書で価格を棒引きさせておきながら、値引き分だけゴミを撤去する意思が元々なかったら、学園は嘘をついて財務相から国有財産を詐欺したことになるのでは?
財務局相手に国有地払下げなら国会議員でないと口利きは難しい。
私立小学校の認可なら所管の大阪府に影響力を持つ人物。
野党では余程の大物でないと相手にされない。
国及び大阪府の双方に顔が効く政治家の周辺に疑いの眼が注がれるのが疫学的推論。
明後日から3月。豊中の記念小学校のキャンパスは依然、土木工事現場。
後ひと月の内に落ち着いて教育を始められる状況でない事は明らか。
建設工事以外にも疑問だらけの学園である。
子供を迎える先生方は何処に揃ってるの?
ゴミで汚染されたままの校庭で子供らを遊ばせるの?
児童や保護者の迷惑を考えれば、一刻も早くあの理事長に少なくとも本年開校を諦めさせる事だ。幼い方達が露頭に迷って悲しむ姿は見たくない。

北方領土の日に思う

今日は「北方領土の日」。安倍総理が提起した特別な制度による日露共同経済活動の可能性。始める前からどちらの国の法制度が適用されるかという議論にこだわり過ぎて、進めなくなる必要はない。
現実には難しい問題が沢山出てくるだろうが、「法の適用」と「(国家権力による)法の執行」とは別物。ある行為について複数国の法律の適用は数え切れないが、法執行については重なり合う国家間でルールを約束しておく必要がある。例えば具体的には、我が方は経済特区に関する国内法令を北方領域でも適用する事とする一方、ロシア側はロシア法において北方領域では「他に定める(内地と異なる)手続きによることができる」と定めることにすれば良い。その異なる手続きが日本の関係法令という事になる。大使館内や基地内と同様に、それぞれの国の法の適用と、法執行の優先順位や条件を分けて考えれば良いだけの事。
法律違反は、北方領域上では原則的にロシア官憲が取り締まることになるが、我が方も日本人に対してや実効支配している領域内など両国で合意した範囲では、我が国法違反として取り締まる事になる。正確には、権力行使について両国間の連絡や協力を国際約束で定めておけば、安定した制度とすることが出来る。
ここで申し上げたいのは、これから詰めるべき問題点は多いものの、最初から領域の帰属を決めなければ絶対に共同経済活動が始められないものではないという事。個人的には、如何なる便法を駆使してでも経済的文化的分野で我が国への依存性を揺るがないものにする事は、きっと領土交渉においても有利な状況を作り出す事に繋がると思っている。この想いは、ゴルバチョフやエリツィンがロシアを率いていた25年前から変わらない。

ギャンブル依存症対策とは

IR法の成立もあって、依存症対策の進め方について意見を求められる機会が増えた。同じ依存症でも、ドラッグやアルコールの依存症とギャンブル依存症とは根本的に性格が異なると私は考える。だから、他の依存症治療方策がギャンブル依存症には効果がないだろうと結論づける。
総じてギャンブルは、有害な物質を習慣的に体内に摂取するドラッグや酒などとは性格が本質的に異なる。どんなゲームでも、「お金」を賭けない限りゲームそのものの依存症になるケースは多くないであろう。ギャンブル依存症は、賭け事で負けが込んでも自分では止められなくなる状態。
これまでで言えば、多くの人間が「サラ金」から足が洗えなくてドンドン深みにハマったサラ金苦に似ている。サラ金苦解消対策には貸金業法等の抜本改正しかなかったのである。
その例によれば、ギャンブル依存症対策は、お金を賭けないで習慣的に繰り返し楽しめるゲームを開発するしかないであろう。でも、私には、人類数千年の歴史を見ても、そんな好都合なものを容易に見出す事が出来るとは思えない。
新たにカジノを導入する一方でギャンブル依存症は生まないと説明する政府の対策とはどの様なものか、施策の内容をじっくり見させて頂きたい。(2月4日)